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丸山応挙美術館
大乗寺 亀居山大乗寺(だいじょうじ)
高野山真言宗
場所
香住町森860余部から車で約15分
開観時間
9:00〜16:00→受付は15:40迄
駐車場
大型バスもはいられる広い駐車場があります
拝観料
大人800円/子供500円
休館日
年末年始、他は不定休
所要時間
お寺の中の絵は1時間くらいあれば見られます。
お寺の方が、それぞれの絵についての説明をしてくれます。
外の景色は時間制限はありません。
天平17年(745年)開基行菩薩によって開かれたお寺で、別名「応挙寺」と呼ばれ親しまれています。
円山応挙の他呉春や門弟の襖絵が数多く残されており、寺全体が円山派の美術館となっています。
現在国の重要文化財に指定されているものだけでも165点。
他にも重要文化財の仏像も3点あります。

円山応挙
応挙
江戸時代の革新的な写実主義の画家
円山応挙は享保18年(1733年)、丹波国(現在の京都府亀岡市)に農家の次男として生まれる。
幼い頃から絵を書くのを好み、15才の頃に両親と共に京に移り絵の勉強を始めたと言われています。

京へ上洛した応挙は、画家石田幽丁に弟子入りしましたがその生活は苦しく自分の描いた絵を売って何とか暮らしを支えていました。
大乗寺の住職密蔵上人と出会ったのはそんな時でした。上人はまだ無名であった応挙の画才を見抜き、ひいきにしていたと言われています。
ある日、上人が応挙に「何か志はあるか?」とたずねたところ、返事は「残念ながら自分は無一文です。もし銀三貫目あれば江戸へ行き勉強し必ず天下に名を残す絵師になります。」
「それならたやすいことだ。私がなんとかしよう。」と即座に銀三貫目を応挙に与えた。
応挙は喜んで江戸へ行き3年間の修行を経て、現代にも名を残す絵師となった。
応挙と襖絵
天明7年(1787年)当時55才になった応挙は、古くなって改築の時期にさしかかっていた大乗寺の話を聞きつけました。
密蔵上人の恩が強くよみがえってきました。
以来八年間五回に渡って寺を訪れ、子弟や門弟と共に襖絵や軸物を多数描き、その数は165点にのぼっています。
孔雀の間のエピソード
応挙の手がけた襖絵は「孔雀の間」「芭蕉の間」「山水の間」の三間に残されています。 孔雀の間の襖絵は、16枚の金箔地襖に水墨で3羽の孔雀と松、岩を描いた大作です。 応挙がこの作品を描いたのは、晩年の寛成七年(1795年)、63才の時。 六十一才頃から眼病と中風に悩まされ、体も弱っていたようです。
その時期の作品の鐘馗図には「寛成乙卵春試筆六十三齢源応挙」と記されています。応挙が作品に年齢を残す事はほとんどなかったので、余命いくばくもないことを悟っていたのかもしれません。
この作品を描けあげた3ヵ月後の7月17日、京の自宅で没しました。
その他にも
大乗寺は志賀直哉の「暗夜行路」にも登場しています。


このページの記事は「香住勢要覧」「但馬の観光百選」などを参考資料にして書いています。by Fujiwara


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